[リストへもどる]
一括表示
タイトルまず話を聴いてください。
記事No2828
投稿日: 2017/04/03(Mon) 23:02
投稿者匿男
知能というのは、発達心理学で議論されていると思います。

心理学は行動主義がブルドーザーのように幅を利かせていましたが、それでは言語と言うものをうまく説明できなかったために、コンピューターの登場により、認知心理学が取って代わりました。

これを認知革命と呼びます。

そして、脳の働きが可視化されてくると、いよいよ情報処理モデルが裏付けられて行きました。

そして、認知神経科学へと発展を遂げています。

これは、「こころとからだをつなぐもの」に関わっています。

ヒトは、目や耳といった感覚から情報を入力して、脳で処理をして、行動化します。

感覚と意識がうまく協調して、発達して行きます。

しかし、これには環境をどんなに整えたとしても、先天的に限界があるようです。

血液型は昔から知られていましたが、人類はもっと多型・多様です。

完璧な人がいないことは、長所と短所は表裏一体であるとみなせばわかりやすいでしょう。

本人の特性と、教育方針があまりに乖離していたら、害になり得ます。

しかしながら、教育心理学は行動主義から認知革命を経て、発展し続けています。

倫理的に考えて、多型の遺伝子に手を加えるのは仮にあったとしても「最終手段」でしょう。

第一の選択肢は、療育・訓練「トレーニング」によって、いかに本人の発達を促すかということだろうと思います。

そろばんができなくても、電卓があります。

地図が読めなくても、ナビがあります。

文字が書けない人も、僕よりはるかに論理的な文章をタイピングすることが可能です。

人間は道具を使う動物です。

道具は可能性を広げます。

十年前に夢の技術だったPDAやヴォカはいまや、スマートフォンやタブレットに姿を変え、普及しています。

補えない短所が多くても、光るものがあるはずです。

そう思えないときは、自信を失っているのです。

本人をダメだと思わせて、可能性を潰してしまうのが一番いけません。

のび太君の言葉。

「一番いけないことは、自分なんかダメだって思うことだよ。」

感謝というのは、自分が幸せ者である!という感覚が基盤にあると思う。 

自分が不運なとき・不遇なとき、ついてないと思う。 

そんなとき、前向きになるには、自分が幸せ者であると思えるか否かである。 

そういう拠り所があるか否かである。 

それは余暇活動かもしれないし、打ち込める事業かもしれない。

自閉症協会の体質として、不幸に浸っている節がやはりあると思う。