被災地からの報告

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 ※ 当文書は世界自閉症啓発デーにおいて各県の被災状況を伝えるために作成したも
  のを、協会機関紙「いとしご」に掲載した内容を変換したものです。



                               岩手県自閉症協会
                                  熊本葉一
被災者の中で

 家も車も仕事上の書類も思い出のアルバムも、その人なりの宝物も、大切なものが、目の前で流されていく様をただただ見ていることしかできません。どうすることもできない無力感と絶望感を抱きながら、何十万という人々が全てを失ってしまいました。たった数分間のうちに。未曾有の災害となった東日本大震災で、自閉症の方とそのご家族はどのような日々を送っているのでしょうか。そして、自閉症協会として何ができるのでしょうか。
 震災からの1週間は、誰も動くことができませんでした。被害の少ない内陸でも電気や水道は断線、断水の状態でした。ライフラインが復旧するまで1週間かかりました。暗く寒い日が続き、どの家庭も自分の家と家族を守るのに精一杯の状況だったのです。ガソリンは地震の翌日から手に入らなくなりました。コンビニや商店の棚からはあっという間に商品が無くなりました。じっと身を潜めているしかない中で、ラジオが唯一の情報源でしたが、そこから流れてくるのは、沿岸部の悲惨な状況ばかりです。「陸前高田は、町全体が壊滅状態。」「町のあちこちに無数の遺体が見える。」「火災が発生し町が火に包まれている。」死者の数、行方不明者の数は日ごとに膨れ上がっていきました。
 日が経つにつれ、少しずつ復旧作業が進み、内陸では電話やメールができるようになりました。状況も少しずつ落ち着き、内陸の協会員の安否情報も入ってきました。しかし、沿岸部の状況は全く分かりません。間近に迫った啓発デーをどうするかの決定をしなければと思いながら、とてもそういう状況ではないことも理解できるようになりました。同時に自閉症協会として今何ができるのか、何をしなければならないのかという思いになってきたのです。「まずは安否確認。そして沿岸部会員の現状把握。」とにかく、現地に行ってみようと思い立ったのが3月20日でした。
 ガソリンを手に入れるため、2台の車で6時間並びました。それでも一度に手に入れられるのは2千円分の14 ℓです。私達の車は緊急車両にはなりませんでしたから、2日をかけて何とか車1台分を確保しました。社会福祉協議会から分けてもらった物資を車に詰め込み、沿岸部へと出発したのは、3月22日でした。
 映像で見るものとは全く違う異常な世界がそこ此処にありました。不思議な感覚を覚えました。そこが見慣れた場所であるなら、なおさらに現実とは思えない世界なのです。その場所の臭いも空気も温度も、何もかもが、果てしない瓦礫の地面の上で、少しも生命を感じさせない光景でした。
 何処の誰を頼っていけばよいのかの当てもなく、とにかくこの瓦礫の道を行ってみるという選択肢しかありません。少ない情報の中で自閉症の方々とご家族を捜しました。何百とある避難所の中から特定の人を見つけ出すのは、難しいことでしたが、協会員の情報と地元の支援学校や福祉施設の方の情報により、多くの方の居所や安否が分かりました。この時ほど人のつながりの重要性を感じたことはありません。以下は被災された方々の様子です。
 Yさん(20歳)は、初めは車中泊の避難でしたが、それは長く続かず、避難所となっている中学校の体育館に移りました。しかし、大勢の人の中で落ち着かず、走り回ったり、声をあげたりするなどの行動がありました。それを周囲の人に「走らせるな!」などと注意を受け、別の避難所に移ることになりました。しかし、そこでも同じようなことがありました。周囲の人にお詫びをする母親の姿を見てYさんは「ごめんなさい。もうしません」と言い、日中でも毛布を頭からかぶって寝てしまうようになりました。私達が訪問した時もそうして寝ていました。幸い現在は、父親の社宅に移ることができやや安定しているようです。
 Kさん(24歳)は、高機能の自閉症です。大学の法学部を卒業しましたが、職場でうまくいかずやめて家にいたところ被災しました。家も、ご両親も亡くしました。引き取ってくれる親戚もない状況です。避難所でこれからどうしていけばよいかを悩んでいました。病院で診断を受け手帳の申請をし、何らかの福祉的支援が受けられるように進めています。
 Tさんは二人のお子さんに自閉症などの発達障害があります。家は津波で跡形もなくなりました。避難所を転々としましたが、自分たちの仕事もあり、県内の親戚の家に子ども達を一時預けました。現在は、ホテルだったところの避難施設の一室に家族そろって生活しています。小学生のお子さんは、いつもやっているゲームができずにパニック気味になっているということで、ゲーム機やCDを届けました。
 Sさん(支援学校高等部3年)は、母親が行方不明です。学校で適切な支援を受けていますが、家族を失ったことは、本人にとってもご家族にとっても大きな悲しみであり、補い難い困難な状況です。
 被災地を回る中で、多くの障害のある方々の状況を知ることができました。自閉症の方は、災害そのものの恐怖や苦痛と同時に、日常的なものを失う苦痛も少なくありません。いつものテレビ、日課となっているドライブ、入浴の制限などは、避難生活が長くなればなるほど困難は大きくなってきます。また、そこを支える家族の負担も大きなものでしょう。支援学校や福祉施設と関わっている人達は、そこでの支援が大きな助けになっていました。
 しかし、私の独断の感想を述べるなら、自閉症の人々は、必ずしも支援を必要とするのみの弱者ではありません。自閉症の子どもを持つ多くの家族は、「この子に救われた。」という思いを持っているのではないでしょうか。「被災して、『大丈夫か』って声をかけてくれたのはみんなこの子の関係の方々なんです。」という家族の言葉が印象に残ります。
 誰も経験したことのない災害の中、多くの大切なものを失ってしまった中で必要な支援は何でしょうか。私にはこれといった確信は何もありませんが、おぼろげながらに、こんな時に助けになるのは人であると思います。人と人とのつながりが、自身を見つめ励まし、次の一歩を踏み出すための力となります。その、つながりを広く固くしてくれているのは他でもない、自閉症の子ども達だと感じます。この一カ月の被災地での日々の中で、何度も何度も繰り返しその思いを強くするのです。




                               宮城県自閉症協会

☆ 東日本大震災について

 3月11日の東日本大地震から早くも3週間がすぎようとしております。時間がたつにつれて、沿岸部の被害の実態が明らかになりその被害の大きさにはただただ驚愕するばかりです。
 そのような状況下で自閉症ならびに発達障害のお子さんたちはどのように暮らしているのか。大変心配な状況です。
 また、被害が比較的少なかった内陸部であっても、自閉症の子どもたちは地震で不安定になっている状態です。家族もいまだに店舗が通常営業している状態ではないため物資購入や、ガソリン給油に長い時間をかけて並ばなくてはならない状況であり、周りの支援にまで手が回らず何もできていないのが現状です。

☆ 宮城県の被害状況

  1. 沿岸部(気仙沼市、石巻市、女川町、仙台市宮城野区など)
     沿岸部地域ではマスコミで報じられているようにいまだにライフラインの復旧が進んでいません。自宅も倒壊したり浸水した会員もおられます。作業所も壊れたところがありました。このような状況の下、自閉症のお子さんとともに避難所に暮らしている方もおられます。しかし、自閉症の子供たちが集団生活の場である避難所になじむのは簡単なことではありません。被災地のほとんどの自閉症のお子さんをお持ちの方は半壊の自宅や、自家用車内で暮らしておられると聞いています。
     被害のひどかった沿岸部では物資の調達も難しい状態です。避難所には支援物資もあるようですが、個人まで物資がまわっているのかは定かではありません。自宅にいる方たちには同じ障害のお子さんをもつ保護者の方々が、物資の運搬を行って助けあっているとのことです。知人や親せきを頼り、そちらに身を寄せている方もいらっしゃるようで、いまだに連絡のとれない会員の方もおり、全体の被害の把握にはまだまだ時間がかかりそうです。

  2. 内陸部(仙台市青葉区、泉区、太白区など)
     被害の少なかったとされる仙台市内の方でも地震当日は子供を連れて避難所に避難された方もいます。また、市内でも倒壊した住宅もあり、ライフラインの復旧状況は地域や各家庭によってかなりの違いがあるようです。
     新学期を迎えるにあたり、仙台市内でも子供たちに地震の影響が出てきています。小学校の建物が壊れてしまったところもあり、新学期からは子供たちが別々の学校に振り分けられて学ばざるをえません。
     その児童の振り分けについても、兄弟であっても別々の学校に振り分けられるなど、必ずしも子供たちや保護者の希望や事情に対応したものとはなっていないようです。

☆ 支援学校や避難所の発達障害児童に対する対応

 支援学校の先生方も各避難所を回ってくださっているようです。しかし、対象はあくまでも自校の卒業生や在校生であり、それ以外の児童までは支援が行き届いていません。
 また、避難所では「老人も、障害の人達も同じところにいるから大変だ。」という声を聴きました。おそらく、自閉症や発達障害の人達もひとくくりにされているのではないかと思います。

☆ これからの対策

 この度の震災では、阪神大震災や中越沖地震の体験が活用されている場面も多々あるかと思います。しかし、自閉症や発達障害者の支援には、果たして今までの経験が活用されているのか疑問でなりません。
 以下、今後の震災に対する対策として必要と思われることを書きだしました。この度の震災には間に合わなかったとしても、今後に生かしていきたいと思います。

必要と思う事
  • 震災時に生じる困り、悩みを相談する窓口を設ける。(平常時から周知している窓口であることが必要)
     一カ所で良いので、そこに連絡すれば時間を必要とするとしても必ず解決できるようにしておく必要がある。
  • 社会的弱者と言われる人のためのスペースを避難所内に用意しておくこと。
  • 支援スタッフの数が充実していること。
  • 子供の支援だけでなく、保護者の支援も行える体制作りをすすめること。
  • 避難所に発達障害児・者も使用できる防災グッズがあるとよいと思う。
 このような震災が起こった場合に、避難所でも対応ができる組織の形成が必要だと思いました。
 東日本大地震で大きな被害を受けられた宮城県の状況について、宮城県自閉症協会より日本自閉症協会のホームページ「東日本大震災」支援専用ページの災害掲示板に4月6日付でご投稿いただいたご報告を転載・編集させていただきました(出版部)。




                            福島県自閉症協会事務局
                               阿部美喜子

 このたびの東日本大震災により、被災された皆さま方に、心よりお見舞い申し上げます。
  1. 震災当日の様子
     福島県では、浜通り中通りの広い範囲で震度6強を観測、沿岸部は津波に襲われました。各地で建物の倒壊や土砂崩れ、火災が発生し、多数の死者、行方不明者が出ました。
     地震、津波に続き、東京電力福島第1原子力発電所に放射能漏れの可能性があり、政府は原子力緊急事態を宣言、半径3キロ圏内の住人に避難指示、3~10キロ圏内には屋内待避指示が出されました。テレビでは繰り返し地震と津波の被害が伝えられていましたが、各地の皆様のご無事を祈ることしかできませんでした。

  2. 震災後の本県自閉症協会の活動
    1. 会員の安否確認
       地震直後の通信手段は携帯メールのみでした。役員全員の無事が確認されたのは3月13日となってからです。福島県自閉症協会には、県北、県中、県南、会津、いわき、相双の6分会があります。震災後の会員の安否確認は、固定電話がある程度つながるようになった3月16日から、分会の役員が情報収集をして始めました。
       連絡がつかない方のうち、いわき、相双の地域の方については、東京都自閉症協会、埼玉県自閉症協会の方々に避難所名簿や消息情報から捜していただきました。
       会員全員のご無事が確認されたのは、震災から45日目の4月26日でした。会員の中には家屋の全壊、半壊、原発事故の影響で県外県内に避難を余儀なくされている方がいらっしゃいます。

    2. 自閉症の方の困難情報の収集と働きかけ
       会員の安否確認と同時に何かお役に立てればとの思いから、会員に限らず自閉症の方が避難所や自宅でお困りのことがないかと情報収集を開始しました。市町村障がい福祉課に問い合わせたり、Webページに震災状況報告を掲載したり、日本自閉症協会本部HP災害情報掲示板やラジオでも呼びかけました。なかなか情報は得られず、避難所にいらした自閉症の方は県内外で7人しか確認できませんでした。確認できた方には地元の自閉症協会、支援機関、市町村障がい福祉課、福島県保健福祉部障がい福祉課、被災地障がい者支援センター等と連絡をとり、支援につながるよう働きかけました。
       また、自宅にいる自閉症の方も学校や事業所、職場が急に休みになって、これからの見通しもつきにくいため不安になっている方、地震が怖くて、余震の度に家を飛び出してしまう方、夜眠れなくなっている方、放射能が気になって押し入れから出てこられなくなっている方、医療機関が機能しなくなっている地域では薬の心配のある方等、それぞれに困難な状況にあることがわかりました。
       ライフラインが復旧しないための困難もありました。給水や給油、買い物のため長時間並ばなければならない状況が続きました。市町村によっては障害者の家庭に水や食料を届けてくれることが、情報収集によってわかり、他市町村でも分会役員から行政に働きかけました。市町村によって支援の内容に差があること、声を上げないと困難をわかっていただけないことを実感しました。

    3. 各方面からの支援提供
       福島大学の内山登紀夫先生から支援のお申し出をいただいたことから、医療チームの巡回相談をお願いすることにしました。県の障がい福祉課、発達障がい者支援センターの全面的な協力と同行を得て内山先生、小児科の小倉加恵子先生に4月1日から3日間、被害の大きい相馬市、南相馬市、いわき市で避難所や福祉事業所、会員の自宅を回っていただきました。私たちは各地の困難状況の情報提供、相談支援の会場の確保、現地に届けていただく防災ハンドブックや支援物資の準備をしました。
       これまで、全国各地の個人、団体から様々な形で支援提供のお話をいただきました。被害の大きい地区の方々、避難していらっしゃる方々にご支援が届くよう、手配させていただいています。また、励ましや、お見舞いのメッセージもたくさんいただきました。
       皆様のご支援、本当にありがたく感謝申し上げます。

  3. 現在の状況
     震災から50日が経過し、ライフラインは復旧がすすんだものの、津波、地震被害は大きく、その上、原発事故の影響により福島県はいまだ「復興」とはほど遠い現状にあります。原発周辺地域には、4月22日に「警戒区域」「計画的避難区域」「緊急時避難準備区域」が設定されました。住民は町や村ごと避難を余儀なくされ、知的障害者の施設でも施設ごと県外に避難されている所がいくつもあります。設定された区域以外の方でも、放射能の影響を心配して避難されている家庭もあり、現在、県内外への避難者は8万人を超えていると発表されています。学校は始まったものの、子どもたちの屋外活動が制限されています。企業の操業停止により、作業所に仕事が来ないという話もあり、今後の障害者の生活にも影響が心配されます。
     本会では、今後も各方面からご協力をいただきながら、被災された自閉症の方とそのご家族のお役に立ちたいと考えております。



                           茨城県自閉症協会事務局
                              仲澤 隆子


 今回の震災でなくなられた方、被災された方に心からお見舞いを申し上げます。また、全国の皆様から温かいご支援をいただき心より感謝いたします。
 茨城県では上下水道の復旧に時間がかかり、特に皆が困ったのは、トイレです。共同の仮設トイレは家族の実態から利用を避け、介護用トイレの設置や自宅のトイレに紙おむつやビニール袋とペット砂を敷き込んで対応しました。一番最後に「直った!」と電話をくれた方は3カ月後でした。
 会員240名のうち、死亡、けがなどはありませんでしたが、建物全壊2件、半壊4件。津波 による冠水1件。屋根・壁等家屋の損壊は約7割にのぼりました。
 避難所の利用は、9家族。避難指示で行ったが本人が激しく拒否した・3家族。利用したが、途中で無理と戻った・1家族。最初から車内で避難された・8家族でした。
 小さな避難所、保健センター、お子さんが通う特別支援学校に避難した方は比較的落ち着いて過ごせたということでした。混雑した避難所ではとにかく不安が強く、家族から離れられない、興奮して甲高く笑ってしまう、走り回る、よその方の毛布に潜り込んでしまうという報告がありました。
 避難所に行けなかった方は食事、水の確保、寒さ対策に苦労がありました。
 震災後の子ども達には、不眠、フラッシュバック、幻覚、幻聴、こだわりの変化など、震災の被害程度、知的障害の有無に関係なくあり、過敏なお子さんは強い不安感でパニックを起こしていました。気持ちを伝えられないために、最初落ち着いて淡々としていても、時間がたってからひどく混乱し、本人も家族も大変つらい思いをしているという報告もあります。
 避難生活で困ったこととしては、(1) 並べないこと、(2) 日中一時支援や短期入所の休止、(3) 正確な情報の不足―身近なその地域の情報が欲しい。(4) 保護者の孤立感 が挙げられます。5月25日、茨城県障害福祉課と障害者団体との「東日本大震災による被災を踏まえた県内障害者団体意見交換会」にて、(1) 避難所について、(2) 障害者への連絡、(3) ガソリンの福祉車両への優先給油、(4) 今後の防災計画の4点を要望として提出しました。
今後も会員から広く意見を募り、積極的に防災計画の見直しにかかわっていきたいと思っています。